量子論と情報科学が綾なす世界の探求
量子力学に従う物理系は、私たちが普段日常で目にする世界とは違った奇妙な振る舞いを示します。その特異性をうまく利用すると、高いセキュリティを持つ光通信や、高速な計算などの応用への道が拓けてきます。逆に、情報科学の緻密なロジックをもとに量子力学を見つめなおすと、私たちが住む世界を支配している自然法則の姿が定量的に浮かび上がり、複雑ではあるけれど、時に美しい構造を持つことがわかってきます。当研究室では、光と物質との相互作用を通じて量子力学的な性質を引き出す応用可能性を見据えつつ、同時に自然の根源的な構造に迫ることを目標としています。
以下では、私たちが取り組んでいる様々な研究テーマについて、具体的に簡単にご紹介いたします。
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量子通信(典型的には1光子レベルの強度の光パルスの送受信)を用いると離れた2者間で第三者にはわからない安全な乱数を共有できます。この乱数は暗号通信の共通鍵として使えるので、この乱数共有を量子鍵配送と呼んでいます。理論の役割は共有された鍵が実際に安全であることを証明することです。元々は実際に安全であることを示せる例か存在するかどうかすらわかりませんでしたが、後に理想的な装置の場合に安全性を示せることがわかりました。その後は性能(乱数の生成レート)をあげたり、装置に仮定していた様々な制約の一部を取り除いた場合にも安全性を示したり、といった形で理論が深化してきました。この研究の面白い点の一つとして、性能をあげるといった応用的な目標の探求が、しばしば量子論の基礎的な性質の探求と密接に関係してくるということがあります。本研究室では、量子鍵配送の研究を通して量子力学的な性質を引き出す応用可能性を見据えつつ、同時に自然の根源的な構造に迫ることを目標としています。具体的には、以下のようなテーマについて研究を進めています。
- 連続量を用いた量子鍵配送
近年、情報の担体としてコヒーレント光の直交位相振幅などの連続量を用いた量子情報処理技術が注目されており、我々はこの連続量を用いた量子鍵配送について研究しています。連続量には偏光などの量子ビットといった離散量に比べ、実装が容易であり、高い自由度が使えるといった利点があります。一方で、その自由度の高さゆえに一般の状況下での安全性の証明が課題であり、我々はさまざまな数学的手法も併用しながら、この課題に取り組んでいます。- 現実的な状況を想定した安全性証明
量子鍵配送では通信路に仮定をおきませんが、使っている装置は一定の性質を満たしていることを仮定します。 一般的に、装置に理想的な性質を要求すると安全性を示すのが簡単になりますが、実装が大変になります。 そのため装置への仮定を、各種ノイズを許容するというような現実に即したものにした上で安全性を示すことが重要です。 これをうまく行うには、もともと本質的にどの性質によって安全性が示せていたのかをよく整理し、本質的でない仮定を取り除いていくことが必要になります。 また、ノイズの大きさの評価方法を適切に選ばないと、評価が厳密にならなかったり、安全性を示すのに使えないということになります。 我々は、これらの問題に取り組むために新たな手法を開発することで対応できる状況を広げていっています。- 衛星量子暗号技術の研究
量子鍵配送は通常、光ファイバーを用いた地上での通信が想定されていますが、1回の通信で送信できる距離に限界があるため、 衛星通信を用いた量子鍵配送の長距離通信化が期待されています。 衛星を用いた量子通信の場合、地上での場合と比べて、特に衛星搭載機器に対する制約が大きくなります。 また、衛星と地上局との距離が離れたり、天候が悪化したりすると急激に通信路の状況が悪くなるといったことがあります。 これら衛星特有の事情を考慮し、意味のある選択肢を提供することが求められています。 我々は、衛星通信特有の事情を考慮した安全性証明を考えることで、そのような課題に取り組んでいます。
量子計算機の実現は量子情報科学の一つの大きな目標です。この十数年、その目標に向けて目覚ましい理論的・実験的進展がもたらされてきましたが、実際の実現に向けては乗り越えなければならない困難は少なくありません。その一つが、「量子誤り訂正」と呼ばれる、量子系に不可避に起こるノイズを有効的にキャンセルする手法の更なる発展です。大規模な量子計算機を作るためには、量子誤り訂正は必須であるため、その理論・実験技術の一層の発展が望まれています。 その一方で、「量子誤り訂正をしない小規模の量子計算機で何が出来るのか」という問いかけに関する理論研究も大いに着目されています。 本研究室では、前者に関しては「光量子計算の誤り訂正」を、後者に関しては「変分量子アルゴリズムの研究」を行っています。
- 光量子計算の誤り訂正の研究
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光は外界との相互作用が少ないクリーンな量子系ですが、その裏返しで確実にできる操作が限られてしまいます。しかし、Gottesman-Kitaev-Preskill(GKP)符号では、GKP状態と呼ばれる図のような量子状態を不確実な操作を含めて準備できれば、あとは光の系で確実に行える操作のみで量子計算を行えます。本研究室では、GKP符号の誤り訂正能力の研究を行なっています。- 変分量子アルゴリズムの研究
プログラム可能な量子デバイスを用いたヒューリスティックアルゴリズムの一種に変分量子アルゴリズムがあります。変分量子アルゴリズムは、枠組みとしての汎用性の高さから、機械学習、量子化学計算、組合せ最適化問題などを代表とする様々な分野への応用が期待されています。本研究室では、変分量子アルゴリズムの新たなアプリケーションの考案および性能解析に関する研究を行っています。- 量子多体系に対する量子アルゴリズムの研究
量子多体系の基本的性質(時間発展, 固有状態, etc)の計算は物性物理・量子化学の中心的な問題であると同時に、量子計算機が古典計算機よりも高速に実行できるタスクであると期待されています。 それ故に、量子計算分野の初期から量子多体系をいかに高速かつ高精度にシミュレートできるかが研究され続け、特に近年では量子特異値変換など最も良い計算コストに迫るアルゴリズムも出現しました。 本研究室では、精度や実現性を探求した新しい量子多体系計算の方式の研究や、量子多体系の性質を活かしたより高速な量子アルゴリズムの構築に取り組んでいます。